乾物の知識



「乾物の話」

 大阪乾物商同業組合(当時の組合長・吉野善定氏)が昭和6年11月25日に発行した「乾物の知識=その栄養価と調理法=」(嘱託編纂者・西村徳蔵氏)という小冊子があります。その序文には次の通り書いてあります。出来るだけ原文のままで紹介します。

 『乾物類の多くは、過去幾百千年の長き間において、われわれの祖先が経験と刻苦によって、生鮮なる穀豆果采(こくとうかさい)、或は魚介藻草(ぎょかいそうそう)に乾燥または加工の術を施し、これを貯蔵または行旅(こうりょ)に便ならしめたもので、わが邦(くに)の食料品として重要なる地歩を占めて来たことはい謂うまでもない。しかも、その乾燥又は加工の方法たるや、いづれも原料品の食味を損(そん)せず、滋養を墜(おと)さず、價格低廉(かかくていれん)にして汎(ひろ)く大衆的食料たらしめた點(てん)においては、偉大なる発明的價値を認むるもので、ただに、その時代々における進歩的食品、先駆的食品であったのみならず、この乾燥加工方法の発見に因(よ)つて、單(ひと)りわが國(くに)の食糧問題に寄與したるに止まらず政治、經濟、社會生活上に幾干(いくばく)の貢獻をなしたるかは、蓋(けだ)し想像に餘りあることである。
 而(しこう)して乾物類の食養價値、若くは食料品としての存在價値は、今も昔も毫(ごう)も渝(かわ)るところがない。否(いな)、現下(げんか)の國情(くにじょう)の下(もと)、人口食糧問題の今後ますます多事多端(たじたたん)ならんとする秋、食物の保存貯蔵方法の研究は倍々等閑(ますますとうかん)に附(ふ)せられない譯(わけ)で、乾物類の如きは大いに其の卓越(たくえつ)せる効用を發揮すべきである。然(しか)るに、輓近(ばんきん)わが家庭の食膳の上にも、徒(いたづ)らに新を趁(お)ひ、奇(き)を衒(てら)い、速(そく)を貴(たっと)ぶの風を生じて、乾物類の如(ごと)きは「時代おくれの食品なり」と看(み)るの傾(かたむ)きなきにあらず、是(こ)れいはゆるモダン人間の陥(おちい)り易い弊套(へいとう)として正に唾棄(だき)すべきである。
 われらは固く信ずる、乾物類の食養價値は斷じて時代と共に變化(へんか)するものにあらず、しかも多々益々(たたますます)改良發達を促(うなが)して、わが國民の性状並に體質(せいしつ)に最も適當(てきとう)せる完全食品、栄養食品たるを高調(こうちょう)せざるべからずと。即(すなわ)ち、この小冊子を編(あ)んで江湖(こうこ)に呈(てい)し乾物類の愛用を薦(すすむ)る所以(ゆえん)である。
昭和6年仲秋10月  編者誌』

 以上のような、乾物食品に対する想い入れが述べられている。当時すでに「時代おくれの食品なり」という風潮があったのだろう。乾物類が如何に食生活に重要な食材であるかを、切々と訴えている内容には、今に通じるものがある。
 昭和33年、食品専門紙記者として、東京を振り出しに、札幌、名古屋、福岡、広島、大阪、東京、大阪と各地を転々としたが、昭和36年福岡支局に転じた折、九州が乾物の宝庫であることを知り、即席食品全盛の時代にもかかわらず、乾物食品から眼をそらすことが出来なかった。自然食品、健康食品が注目され、栄養過多の食生活が成人病の世界上位ランキング国になった現状を見るにつけ、いま一度、乾物食品を見直すことが大切である-と、乾物を主体にした食品産業の現状を広く知ってもらうために、産地ルポ、乾物の知識などの情報を提供する、ホームページを開設することにした。
  昭和6年に編纂された、「乾物の知識=その栄養価と調理法=」(大阪乾物商同業組合発行)をベースとしながら、当時と現在の産地、生産量、調理法の変遷を対象しながら内容の充実を図ることにしている。

 平成22年(2010年)12月

株式会社食品産業情報センター
代表取締役・藤井 弘治



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